先人の教え

藤村操の"辞世の句"*1を詠んだ↓

悠々なる哉天襄、遼々なる哉古今、五尺の小躯を以て比大をはからむとす、ホレーショの哲学ついに何等のオーソリチーを値するものぞ、万有の真相は唯一言にしてつくす、曰く”不可解”我この恨を懐て煩悶終に死を決す。既に厳頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし、始めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。

さっぱり。廃人のような思考しか持ち合わせていない僕には殆どが理解できなかった。それでも最後の節に心を打ち抜かれた、かも。悲観と楽観は表裏ではなく同じ面に存在し得るものだと、100年前の人に再確認されられたという、なんともはや(精一杯↑に馴染んだつもりの言葉)先人達の教えは、やっぱり偉大だと思った。
そんで、教えられる人になりたいなと思って、押し付けがましいなと思って、体した思想も持ち合わせていないなと思って、自分が少しイヤになった。ひょっとするとこれも、同じ面に好くなる要素が含まれているのかもしれないと楽観視して、眠るとしよう。だって眠たいから。グーグー。

*1:将来を展望されていた藤村操が、自殺をする際に遺した書。